steps to phantasien

二駅先の青春の日々

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結婚の報告を兼ねた忘年会で、数年ぶりに何人かの顔を見る。 昔からの仲間たちに触発され、自分の青春はいつだったのか帰り道ふと考える。 青春というからには楽しい日々だったに違いない。

高校生の頃のことはよく覚えていない。もう連絡の取れる友達もいない。ただ過ぎていく毎日だった。 大学時代はもっぱらネットに入り浸っていた。私の大学生活は IRC でありブログ…当時はウェブ日記…だった。 濃密な体験だったけれど、楽しかったと素直に言えない青臭い屈折があった。 最初に勤めた会社は、楽しかったというには働きすぎていた。かわりに学びは多かった。 まあ有り余る体力に任せ仕事の後も遊んでいたから楽しいことも少しはあった気がする。

でも私にとって青春の日々と呼ぶにふさわしいのは、 最初に職場を変えやさぐれていた頃だったと思う。

週末の夕方遅く起きた私が部屋でぼんやりネットをみていると、同じ沿線に住む前職同期入社の友人から電話がかかってくる。 いま起きた、肉くおうぜ、とりあえずウチこいよ。自転車で二駅のぼり、デスマの愚痴で盛り上がつつ焼き肉屋のタン塩に散財したあと、 近所の本屋でマンガを買い込むと奴の部屋に上がり込み、小さなテレビには外国のサッカー中継が流れていて、 画面に悲喜をぶつける友人を背に固いベッドの一角を占拠した私はビールをすすりページをめくり、 弾が切れたら本棚を漁って既刊を掘り出しむさぼり、やがて朝が来て、 試合はいつの間にか終わり、観客一名はベッドの隅に突っ伏していており、 私はろくに片付けもせず部屋を抜け出しのろのろと二駅漕いて家に戻り、 日曜日は寝て過ごし、二日酔いで新しい週を迎える。そんな日々。なんて身勝手で贅沢な日々。

あるときいつものようにビールでマンガを読みながら友人はいう。俺結婚するんだ。引っ越すよ。 こうして二駅先の青春は幕を下ろした。数日後、かの地にため込んでいた単行本が段ボールに詰められ私に届いた。(自分で積めて送ったんだけど。) 箱から取り出した青春の屍はその後数年一緒に暮らしたあと、自分の引越しにあわせて捨てた。

それは学生生活の代名詞だとかつては思っていた。努力友情敗北のデスマーチにその影を見たこともあった。 いま、近くから見るとなにもない、退屈にすら思えた日常を、はちみつとクローバーの青春に恋い焦がれ酩酊した夜を、 自分の青春として遠くから発見しなおす。少しやり場に困る。 けれど記憶の中でことさら明るく灯るのは、卓袱台に転がった空き缶と新刊を照らす、白く滲んだ蛍光灯なのだ。